Johnny Angel History


1994年11月11日オープン、資本金3000万、有限会社アスタマニャーナ商会、代表は星 英一 (小岩2中出身 )仲間に支えられ好スタートを切った。当時はハコバン(レギュラーバンドで毎月20日間 同じバンド)体制でバックボーンズ ( 現在も活躍中)が、担当だった。

入り口にはなんとアメリカからオーナー自ら直輸入したピンクのアメ車がお出迎え。(当時、このキャッチコピーで新聞の折り込みに広告宣伝を載せたら「で、どこまで迎えに来てくれるんですか?」って問い合わせがあった。。。) 捨ててあったボロボロのを拾ってきて板金したらしい。。何よりも輸入する際の運賃が一番高かったとか。彼のアメリカでの武勇伝は一晩中かけても終わらない。。何しろ、あのマクドナルドの東京銀座一番店が出店される前に『小岩』でハンバーガーショップ出した人だから。。(もちろん、当時はパンにハンバーグ??って誰も不思議がって寄り付かないんで即、店閉めたみたいだけど。。。)

珍しい看板やLPジャケットもズラリ。中にはプレミアものもある。「古き良きアメリカ」に対する愛を感じるねぇ。

1995年、オープニングスタッフのPA(音響)担当として雇われた、きたあつしが店長に任命される。

3年後、ハコバン体制に終止符を打ち、日替りバンドで新体制になる。

2000年、第一期ジョニーエンジェル経営破綻。新オーナー横山氏とジョニーエンジェル再建。この年の終わりアルバイトに大ちゃんが返り咲く。(有)AXIS-ONE、代表は横山氏、だが、この会社も出演バンドの体制を変えなかったのが災いし半年で経営破綻。

2001年、あっという間に第二期ジョニーエンジェル経営破綻で必然的に第三期へ。正式には3月から、北と川名で運営する事を決め、元オーナーで大家の星 英一と契約を交わす。とはいうものの、2回も破綻した店をどうやって経営していくか。2人が出した意見は一つだった。とにかく必要経費を押さえる事。KITA&DAIの『リトルロックブラザーズ』の誕生である。何年もこの業界に居ながら初めてオールディーズを覚え、自ら出演。

2002年、共同経営者だった、DAIが辞め、4月から正式に個人商店として第四期スタート。バンド『リトルロックブラザーズ』解散、「LR-Bros」グループ名として引き継ぐ。ここからが店長きたあつしの腕の見せ所です。

2004年5月6日「有限会社リトルロックブラザーズ」設立。代表 北 敦志。6月1日の営業からスタート。第五期ジョニーエンジェルの幕開けです。

次は音楽事務所設立で多角経営です。目指せ!株式会社!